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厭世思考

人嫌いの厭世観、思考をまとめたブログ

あらゆる糸は金に繋がっている

自分考察

金が全てだと言う事実に異論はなく、取り立てて今更言うことではないかもしれない。

今日、自分が今後どういう人間になりたいのかについて考えていたところ全てが金に帰結したので、それについて書く。

自分の理想像と必要なもの

飄々とした生き方がしたい。誰にも嫉妬せず、ひっそり隠遁して余計な人間関係も持たず。同居人は既にいるが、それで十分。
それ以外のことを捨て、かつ他人の目など気にしない生き方。

そうなるためには、下記のものが必要となる。

・適度な容姿
・在宅でできる仕事
・必要十分な金
・衣食住

全ての糸は金に繋がっている

金で直接買えないものは存在する。
しかし金は人間の行動の幅、選択肢の多さを決めてしまう。
直接買えなくても、金は自分の生き方の全てに直結する。

飄々とした生き方=自分に自信がある生き方
自信を持つ=他人に嫉妬・劣等感を抱かない
嫉妬・劣等感を抱かない=人生に満足している
満足している=思考・行動の制限がない
制限がない=衣食住と仕事が自分でコントロールできる
自分でコントロールできる=金がある

適度な容姿を培うために、例えば運動をする。筋肉をつける。
ジムに通う。通わなくても、自宅用の器具を買う。少し本を読んで正しいやり方を知る。ああ、金が要る。

もしくは整形をする。金の塊だ。

在宅でできる仕事、これは金を得る行為だが基本的には始める際にコケても困らない程度の貯金がいる。
元手0のビジネスを始めても生活費が要る。

衣食住が欠けていると人間は根本的に動物としての生命を脅かされる。衣食住を確保するためには金が要る。

金だ。

劣等感・嫉妬の原因も金

自分は運良く貯金があり、半年ほど隠遁生活が可能になっていた。余分な人間関係も捨て、在宅で仕事を少しずつして稼いでいたが、長期的な仕事にはどれもならなかった。
もう貯金は少なく、働かなければならないのだろうと思うと消えたくなる。

そして自分には同居人がいるのだが、非常に優秀なため副業でさっさと小金を稼いでしまった。この対比は非常に痛ましく自分を襲っている。

人は運によって境遇が決まり、境遇で人格が決まり、境遇と人格が能力の獲得の可不可を決める。

同居人のような器用で優秀な人間になれないと悟ってから、自分は同居人の幸せを願えなくなった。没落すら望んでゆく。
これは紛れもない嫉妬・劣等感であり、本人にも伝えてある。

(同居人なんかより成功している人間は世の中に腐るほどいて、しかし自分の生活の中では狭い世界しか見られない。人は自分の生活の範疇でしか物事を判断できない、これは普通のことだ)

 

相手は金があるため、新たに投資を行ったり書籍を購入して自分の才知を養ったり更なる副業に効率的に取り組んだり、行動の幅がどんどん広がっている。

対して自分は金がないため、新たな物事を行うのはかなり難しい。金も時間も無駄遣いはできないので、ただひたすらPC前に向かう。

精神が安定していると金が入る

通常、誰しも精神が安定している。
不安定な人も昨今多いだろうが、普通は安定している。

安定しているとネガティブなことは特に何かない限り考えに上がらない。
それに加えて優秀な人間は合理的なので、信頼性の高いニュースなどから得た情報をすっとキレイに理解して自分の事業や生き方に応用し、はびこる脳筋ライフハック記事からすら何かを得て運用してしまう。

情報処理能力と応用能力というのは非常に重要な資質で、これが十分に養われていると、大体の事象を現実的なレベルで自分のステージに落とし込める。

つまり小さなことでもチャンスを見つけて副業に変えてしまい、上手く換金出来るというわけだ。

対して精神不安定だと、そもそも情報を適切な引き出しに入れることから難しいということが多く、適切に運用できない。
しかも精神不安定というのは大概子どもの頃からの家庭環境から続く非常に長い呪いであるために、成功体験を得る機会をことごとく破壊されてここまできている可能性が高い。

成功体験が少ないと逆算的に自分の情報処理の仕方にも確信が持てないため、もはや何をどうしていいかも判らない。

当然副業に挑戦しても何かズレていく、あるいは情報が欠けていて上手いこと金にならない。

金ではなく施し精神で幸せになる?

お坊さんやガンジーなどについては、俗人とは時代・文化背景が違いすぎるので除外したい。あくまで現代の通常の一般大衆について。

「お金は要らないけど誰かが喜んでくれれば幸せ」という言説を指している。
そういう人は、金を十分に持っていると推察する。
ホームレスがボランティアに没頭するだろうか。あるいは逆に、ボランティアに没頭してホームレスになっても仕方ないと思うだろうか。

多分、大多数は思わない。
つまり金や生活、そして精神に余剰がある人間の幸せの形なのだ。

自分は金や生活、そして精神に余剰があってもそうなれないタイプなのはここまでの文章で自明だろうが、そもそも金と生活がまずきちっと安定していないと精神に余剰は生まれない。

人に恩恵を与えて幸せを得るタイプは、自分の幸せの在り方を否定されることが大嫌いなので近づきたくない。
なぜいいことをしているのに批判を受けなければならないのかという思考回路だそうだが、善悪の基準は人によって違うので仕方ない。

人に施しを与えるという精神生活にも金という基盤が必要だ。

金を得ることが自分の幸せをつかむ全て

現状で自分が思う不幸は同居人に対する矮小な嫉妬・劣等感。
そして外に働きに出て不要な人間関係に晒されること。

これらは金があれば解決できる不幸だ。

金は最も分かりやすい成功の指標であり、行動や選択肢を拡げて精神を豊かにするチートツール。
金がなければ衣食住も自動的になくなって趣味や幸せどころではない。

不幸をなくすことが幸せである。個人的には突出まで求めなくていい。

ここでは同居人に対する情報が余りにも少なすぎるため、読者が単に自分のことを「金でしか自分の幸せを測れない狭小で卑屈な人物」と捉えてしまうのもムリはなく、それは間違いではない。ただ、それだけの人間というわけでもない。別の側面も在る。
同居人についての話題はまた別のエントリに書き起こす。