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厭世思考

人嫌いの厭世観、思考をまとめたブログ

人の持ち物を妬むことについて

今日のテーマは「持つ者と持たざる者」について。
例えば友人に恋人ができた。自分にはいない。
この場合、自分は「持たざる者」である。

つまり、自分は無能で誰からも愛される価値のない人間である…

のか?

ということである。

人の持ち物と自分の持ち物

持ち物という言い方に些か語弊があるかもしれないが、便宜上。

●持ち物(プラスに働くもの)の種類
・整った容姿(天性、整形問わず)
・良い人間関係、有用な人脈
・資産、金
・スキル、資格、学歴、仕事
・優れた(まともな)家族、親の七光
・物理的なモノ、設備(デカいテレビや持ち家、高級ブランド品など)

この内の全てが羨望・嫉妬の対象になると思われる。

間違いなく、別個体として生まれ育っているので、他者の持ち物であって自分が持っていないものは存在する。つまり逆も然りだが。

人の持ち物は全て麗しいと思う時は、自分が著しく持っていない時だ。
何もない人生になってしまった人間は他を恨み嫉妬し、SNSなどで誹謗中傷を繰り返すこともある。
例えば「同じ思想を持っている」と思っていた仲間が後々「実は恋人がいて…」などと切り出そうものなら、「裏切られた!」ということになり、その人間関係は永遠に葬られかねない。

(最初の記事で自分には同居人がいると既に明かしているので、そこでこのブログを読むのを止めた人もいるだろう)

かくいう自分もその種の劣等感を抱きやすい、言うなれば他者や環境に影響されやすい人種なので人との交流は極力断つようにしている。

唯一交流が多いのが先に述べた「同居人」というわけなので、必然的に同居人の持ち物と自分の持ち物を比較してしまう。

同じ家に住んでいるからと言って、仲が良い(悪くない)からと言って、持ち物が同じなわけでは決してない。
貯金口座も額も違う。容姿も体型も違う。親の在り方も違う。育ちも、学歴も、要領の良さも、友人の数も、…まるで違う。
(さすがにテレビくらいは共用だが)

「比べる範囲があまりにも狭小だ!」
確かに同居人というのは1人であり、範囲としては狭い。
ツイッターで見かけた一部とかネットの記事で偶然見かけた話題に上った人物についても「こいつはいいよなぁ」とか思ってしまうわけだが、同居人は毎日顔を合わせて持ち物の違いを意識させられる存在なので、範囲は狭いが影響は大きい。

大方の人間は狭い人間関係と自分を比較して、自分の価値を自ら低めている。

妬みをなくすために自分の持ち物を増やす

妬みは自然発生するものなので突然気持ちの整理がついて消え去ったりということはないが、健全に解消させたいという方向でいくならば自分の持ち物を増やすことが解決になるだろう。

しかしそれが物理的・精神的に難しいので、持つ者を叩いてその持ち物の価値を低めようとか、なんとかしてそいつの持ち物自体を減らすために陥れようとか、そっちの方向へ向かっているのが日本の傾向という感じがする。

そんな非効率的・非生産的なことをするくらいなら自分を責め続けて布団にくるまって悲しい曲を聞きながら泣いた方が(思考停止しないという意味でも人間としてという意味でも)自分的には大分マシなのだが、そこまでいかずに少し余裕があるときは、自分の持ち物を増やすことについて考えるようにしている。

●自分の持ち物
・容姿:外には出られるがすれ違いざまに悪口を言われることがある
・人間関係、人脈:友人ほぼなし。同居人という仏がいるのが救い
・資産、金:ほぼない
・スキル、資格、学歴、仕事:イラスト、デザインのスキルはある。資格はない。学歴も中。仕事もない
・まともな家族、親の七光:ない
・物理的なモノ、設備:売れるものはフリマアプリで売り払った

というわけであまりまともな持ち物がない。

●持ち物を増やした方法
・金を手っ取り早く増やすためにメルカリなどのフリマアプリで服や家電を売った
クラウドワークスでコンペに応募し、採用された時は多少金になった(が、継続案件ではない)
・筋トレを半年ほど続け、容姿を少し改善させようとしている。一応半年前から5kgくらい減った
・その他イラストやグッズ作成で金を増やそうとはしている

……増やすものは1にも2にも金だ。
最初の記事にも書いたが金が全てのサービスを受ける基本になるので、極論を言えば持ち物はほぼ全て金に置き換えることができ、金さえ増やせれば大局的には解決する。

人の持ち物で妬みが止まらないのは人間関係

妬みが止まらない=金という物的資源で解決できないもの、それは人間関係だ。
ビジネスのやり取りとか形式的な婚活ならともかく、友人や恋愛を経ての恋人づくりというようなものは金「だけ」では難しい。

自分自身に置き換えて考えてみて欲しいが、友人や恋人にしたい人間はとにかく自分にとって居心地のいい人間というのが大前提だろう。
(好き好んで切磋琢磨したり、敵やライバルを作って圧倒的成長を遂げたいという意識の高い人物はこのブログを読んでいないはずだ)

居心地がいいというのは大方の意見・価値観・思考様式が同一ベクトルを向いているということである。更に言えば、対立する意見が相手から出てきても「まぁそうだなぁ」と新たな考え方として咀嚼できるか、それが出来なければ「自分はこう思うけど、この話題について議論を交わして結論を出す必要はないから受け流そう」と妥協・譲歩できる関係が構築されているということである。
(最上の関係になっていればきちんと議論を交わして落とし所を双方が見つけ、お互いにレベルを上げるということになるのだろうが、あまりないと思うので置いておく)

つまり自分のレベル・タイプに合った人間と付き合うことになるのは必然となる。

いい人間関係を作れている人間は、いい人(対外的に、だとしても)or人に利益を与えられる人間。かつ、人間と接するのが苦痛でない人なのだろう。

いい人間関係という持ち物=その人物そのもの、無意識にそこに嫉妬を覚える。

しかも妬んだところでどうにもならない。
そいつを貶めれば他方から自分が反撃を食らう。そういう人間関係を作ってこれなかった自分を責めれば過去を背負ってひたすらにつらい。

人間関係に関してはあまりに個別具体的すぎる問題で、自分自身で増やそうとしても失敗することも多くある。傷つくこともある。それがイヤでみんなネットにうっすらいる。

 

答えが出る問ではないのだが、人間関係が作れないのは人と出会う環境にいないという運の要素も大きいので、「自分に価値がない」ということとイコールではないと思う。

人と関わると影響を受けすぎて疲れる自分のような人間は、人との関わりを断つことで安定するケースもある。さみしいけど。

どうにもできない負債の持ち物は意識的に捨てる・忘れる

持ち物としての学歴や親は今更何をどうしても変えられないので、考えに入れる必要がそもそもない。意識の外にとにかく捨てる。

まだ次の段階が残っている小中高生や、就職を控えた大学生や転職の機会がある人はラッキー。

実家がイヤすぎる人(毒親とか)はできるだけ家を出る方向で自分の行動を進めた方がいい。負債の持ち物は捨てろ。
かくいう自分も手紙置いて家出して大学生になった。

しかし問題になるのは保証人か。もし金があるなら保証会社利用可の物件を探そう。金は余分にかかるけど、精神に悪影響を与える家にいる方が最悪な人生なので出るべきだ。

とはいうものの、その後どうして生きていくかという問題にぶち当たる。はっきり言って自分でなんとかするしかないが、まあ今時バイト募集自体は多いので生きる気があればそうする。在宅ワークもそれなりに充実している。カラオケの歌詞入力とか。

 

人生の途中、人と自分をふと照らし合わせた時に「あいつは育ちがいい/普通だから自分とは違う」と思うことがある。
間違いないのだが、もう投げやりになってもいい、忘れてしまえ。ヒトカラに行ってでもアニメ実況見てでも100均で皿買ってきて割ってでもコーラを風呂にぶちまけてでもいいから忘れる。

ただ悲しくつらくなるだけで、一切どうにもならないからだ。

持ち物が少なくても「自分は無能で誰からも愛される価値のない人間」ではない

「自分は無能で誰からも愛される価値のない人間」。そう思って生きてきた。今もやっぱり思っている。
でも岐路に立たされる度に、なんとか細い道を選んでこれた。諦めきれずに。

だからたった1人でも同居人の存在をつかめた。

同居人は誰かの紹介や同じコミュニティで出会ったのではなく、探して探して探し求めた挙句に偶然見つかっただけのことだ。

金や人間関係などの持ち物は、特に関係ない。
厳密に言えば、「機能不全家庭に生まれて思考を続けて傷つき過ぎて人に合わせて潰れてもなんとか生きてきた自分」だけを持ち物として提示できたので、その持ち物だけでなんとかなった。

「誰でも」なんとかなるとは思わない。環境には個人によって差がありすぎる。
自分が一番最低な人生かと思えば、家すらない人間もいるし、介護を強いられる人間もいるし、精神病でもはや会話の成り立たない親と思春期を過ごさなければならない人間もいる。

しかしもし自分を振り返って、少しでも動けそうな余地があれば、それは持ち物を増やすか質を改善する余地があるということなので、安易に持ち物の少なさを即ち自分の価値のなさとイコールで結ぶ必要はない。

ないと信じていたい。