読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

厭世思考

人嫌いの厭世観、思考をまとめたブログ

読書が推奨される度に読書が嫌になるのがひねくれ者の常

読書。

昨今「これをやらない人間は損をしている」とばかりに喧伝されているものの1つだ。(他には筋トレなどがある)

文化系脳筋思考とでも言えばいいのか、読むのに時間がかかるなら速読しろ、物量が増えるのがイヤなら電子書籍にしろ、本を読んだ者だけが積み上がった世界に行けるなど、反論を全て潰して最終的な(どこまで読めばそうなるかなんて全く保証されない)世界へ行くことを推奨される姿には半ば宗教の感も否めない。

読書に有用性しかないことは当然のことだ。
でも、推奨(もはや強要)される頻度に反比例して読書に対するモチベーションは下がり、精神的ハードルは上がる。

では、そういうひねくれ者はどうすれば読書に少しでも近づけるのか?
今回はそういうテーマで書いてみる。

普通の人は気分を害さないために、こんなブログはそもそも読まない方がいい。

読書に何を求めるかという目的は人それぞれ

この記事はあくまでひねくれ者がどうすれば読書に少しでも近づけるのかをテーマに書いている。

つまり、「賢く生きるためには本を読まなきゃ…ああ~でも読書読書読書筋トレ読書…あんなに喧伝されてる読書なんてやる気になれない、どうせ自分が読んでもああいう要領のいい人間と同じように賢くなるわけないし結局本なんて読んだって仕方がない…ああ…読む気になれない…」という人向けの記事である。

読書成長システムに乗れない自分

同居人は毎日本を読んでいる。
理由を聞くと、「いろんな人の考え方を入れた方が思考の幅も広がるし、ネット記事と違って本なら編集入ってるしお金もかかってるから内容に信憑性も(ある程度)担保されてて、いいと思う。オススメだよ」と言う。

その通りだ。

編集されてて金がかかっていても筆者によってはトンチンカンなことを言っている、つまり金や知名度さえ積めば本を出せることもある、そういう本も氾濫しているという事実を除けば。

それはともかく、個人の思考量・方式には偏り・限界がある。
本を読めば体系的にまとまった知識や違った思考方法が得られるので、みんながこぞって読書を推奨するのは当然であり、賢く生きることを迫られるこの社会では合理的な選択である。

「成長」。自分が新たな情報・思考プラグインを手に入れた時、そういう言葉が使われる。

「読んでも忘れちゃうこともあるけど、まあ1つくらい頭に残ってればいいかなくらいの気持ちで読んでるよ。読み返してもいいし。」

同居人は情報処理能力に長けている。1度での情報処理・記憶能力が、自分:同居人=1:3くらい。
そういう自負が既に身についていれば、積極的に新知識を入れて入れて入れまくって、今後も有効利用するという行動パターンに出られるだろう。

いいシステムだ。読書成長システム。
だが、自分のような「悲観的で自分に対して考え過ぎで他者のやっていることは自分にはすぐに真似できない」という感じの人間には、そのシステムに乗ることは難しい。

勧められた本・流行りの本は読めない

先述の人物像をとりあえず「ひねくれ者」と表すと、ひねくれ者は勧められた本や流行っている本は読めない。読みたくなくなる。

精神的・肉体的疲労に関する本を、先日同居人が貸してくれた。頼んではいないが、「少し読書に興味があったようだから」と。

ありがとう。

そしてそれから3ヶ月。その本は見るのも厭になり、手元のボックス内にとりあえずしまわれている。出来れば返却したいが、「どうだった?」などと訊かれるのも少しつらいので置いている。
一応読んでみようと試みたものの、完読する気持ちにはどうしてもなれなかった。

その本の筆者は軍でメンタルコーチみたいなことをしていたらしく、しかし恐らく心理学などを専門に学んできたような感じの人ではなかった。それってただの経験論…?と思い、なんだか信憑性に欠けるなぁと思ったというのもある。

でもきっとそれ以上に、近しい人から勧められることが苦痛だったのだろう。それも読了したものを。
「既に他人が得ている知識を、自分が得る。それでやっと同等の立場に立てるということか…。既にこいつが知ってるなら自分なんかがそれを学んでも(同じように生かせる自信もないし)意味ないな。。」
そういう卑屈な見方をしているのだ。

かくして自分は、せっかくの読書・新知識獲得・成長チャンスを自ら棒に振った。

これは流行りの本でも同じである。近しい他人ではないものの、みんなが読んでいる本は苦手だ。
小説、金持ち父さん、私が鬱になってなんちゃら…

多くの人が動かされているものには、素晴らしいと思われる所以が必ずある。だろう。
が、読みたいとは思わない。

せめて読んでから「面白くなかった」と言えば正しい姿勢となるのだろうが、そこまでしてケチをつけたいというわけではない。作品自体に嫌悪はないのだ。ただ、みんなが読んでいる(そして得てして賞賛している)という事象が気持ち悪いだけ。

無理やり読まない、自分で厳選したものしか読まない

読んだ方がいい。賢くなれる。成長できる。視点が多い豊かな人間になれる。その知識を武器に他人を牽制できる。話の合う仲間ができる。話題についていけないこともなくなる。レベルの高い新たな人脈ができる。尊敬される。ブログの記事数も増える。云々。
これを読んでおけば現代社会の全てがわかる!上司と上手く関係を築く方法!起業のチップス!俺はこうして億万長者になった!

いいこと尽くめ、素晴らしい。

その抜けた青空のもと、お花見に集って大衆macbook airを広げながらビールを飲みつつ利益をあげたり肩を組みながら議論を交わしている」というような素晴らしき感覚に(完全に思い込みであり偏見なのだが)嫌悪感がある。

まあ実際の行動としては、ただ本を読んで普通に内容を消化しているにすぎないのだが、昨今の読書読書読書筋トレ読書にはそういう感覚がまとわりついている感じがするということである。

なら、それに同調できないものは「ムリに読まなくてもいい」ということにするしかない。

賢くなりたいけど読書の波に乗りたくない。ひねくれ者ってそういう思考回路。

ところで、ネット記事にはテンポラリーな情報しかない。最新の情報や研究が知れるというのはメリットだが。
対して本は、情報が古くなる。しかし執筆に期間をかけていたり編集が入るため、同じ内容でも筆者や編集者の方針によって非常にわかりやすく体系的に、かつ長く使える知識が得られる。

つまりどちらの種類の情報も何も考えずに吸収することが本来望ましいのだが、やはり基本方針は「ムリして読まない」。

「何も考えずに読める」時だけ読む。「何も考えずに読めるほど興味関心が持て、没頭できる内容のもの」だけ読む。

ひねくれ者でも読める本の読み方は、これに尽きる。

大切なのは自分で自由に選ぶことだ。貪るように読めばいつかは賢くなれるみたいな保証はない。偏ってもいいから絶対に好きな本を選ぶべきだと思う。

読まなくてもいいので、「興味のある分野 本 オススメ」で検索すると、大抵オススメしているブログ記事が出てくる。
まあそのブログを読んでやる気をなくすならそれは仕方がないのだが、そこで運良く「ちょっと良さそう」と思った瞬間Amazonで欲しいものリストにだけ入れておく。

知識の偏りが増進する?もっと大局的な見方をしないと今後の社会でリーダーになれない?そのためにはこの筆者の本を読め?あんなに話題になってるのにこの小説読んでないの?面白いから読め?

それは「キラキラ健常者」の読み方です。誤解を恐れずに言うと。

偏った結果、少しずつ読めた本

中島義道の本と哲学入門書。
はい、偏ってる。でもいい。個人的には同居人が読まなさそうな本を読めているだけでもかなり精神的にはマシだ。
同居人は現代社会の闇やすぐ使えそうな心理学、小説を好んで読む。
自分は机に置いてあるその本のタイトルを見ただけで嫌になった。

(※同居人に対する劣等感が凄まじいため、今のところこういう行動基準になっている)

中島義道の人間嫌いについての本

中島義道についてはネットのインタビューだかコラムを読み、大体どういう人物かを知った。人間嫌いを極めた人物であり、独自の理論体系を持っている。ひねくれ者である自分にとっても、思考の方法や物の見方として有効な知識を得られそうに思ったのでいくつか読んだ。

自身の経験論が多いようにも思うが、ひねくれ者を極めたいわば人生の先輩的な存在なので、20代の自分が読むと今後の生き方の選択肢が広がるように思った。

ただ、少しわかりにくい書き方の部分も多い。思考を巡らせ、咀嚼しながら読む必要がある。

飲茶氏の哲学入門書

哲学書については、気になっていたものの難しそうで手がつけられずにいた。
しかし、哲学とはそもそもどんなものかとネットで見ていた時に飲茶氏のHPにたどり着いた。

www.h5.dion.ne.jp

ここを読んでいるだけでも普通に面白いので、哲学・科学・人工知能についてちょっと覗いてみたい人はぜひ。
最近はあまり更新されていないようだが。

話が逸れたが、飲茶氏の執筆した哲学入門書は平易な文章かつ現代社会に即した内容に落ちていくのでとてもわかりやすい。
哲学は宙に浮いた存在で、思考という範疇にとどまるものかと思い込んでいたが、歴史・科学・国家・社会…など(当たり前といえば当たり前だが)いま生きている世界全てを規定する根幹になっているということがわかっただけでも自分には大きな収穫だった。

ここから他の分野にも興味が持てそうなので、とてもいい。

まとめ

色々書いたが、自分とは違う人種のコンプレックスに悩むひねくれ者は、別にその波に乗る必要はないということが言いたかった。

ただそのまま孤独に生きるのは寂しくて、自分を潰してしまうだけの生き方になりかねない。
ならば違う人種が読まなさそうな本を、自分の精神に合った形でのみ読めばいいと思った。

…ここまで自分がたどり着くのに、半年くらいかかった。