厭世思考

人嫌いの厭世観、思考をまとめたブログ

数学を学び直そうとしている話

数学。

自分は数学が苦手で、大学も数学科目がないところを選んで入学・卒業した。しかし、ふと思った。

「数学というのは学校で最低限の教育として採用されている科目の一つ。つまり、がんばって考えれば解けるレベルの問題が自分の目の前に与えられていたはずなのだ。それを出来ないまま大人になってしまった場合、本来身についていたはずの能力が欠如した個体になってしまっているのではないか?

数学を学び直そうと思った。

数学を学び直す意味

なぜ「数学」?他の科目でもいいはずだ。

選択の契機はやはり、現役時代にできなかった科目だからだ。
自分は理数系科目が皆目できず、中高生の当時とても困っていた。
国語や英語はそれなりだったのだが…
どうでもいいが倫理は高得点だった。

つまり生物・物理などももちろんできなかったのだが、数学は論理的思考の祖。それが理解できないなら、そもそもどの概念も全て理解できないだろうと考えた。

国語も英語もルールに則って答えを論理的に導き出すという点では、本質的には数学と変わらない。その手順でなくてもなんとなく解けたり、興味の有無などによって結果の変化があるだけだ。

下記のブログも、今回数学を学び直そうと思うにあたってとても参考にさせていただいた。

kinokoru.jp

なるほど抽象思考を扱う脳みそを作る訓練…それが数学を学ぶ意味。

高校時代に通っていた個別指導塾で、3年間お世話になった京大生(当時)の吉田先生に、ふと訊いたことがある。

「…先生、なんで人は勉強するんですか」

「…考える力を養うためかな。いま苦手としている数学も…例えば場合分けとか。何か問題に直面した時、それを数パターンの観点から分類して、解決方法を導き出す。学問てそういうものだと思うよ」

正面から対峙してくれたその答えは、高校生の自分も今の自分もすっと納得できる「良い」答えだったことは言うまでもない。

そして、この考えが浮かんでから数少ない友人のK君にも「数学を学び直す意味があると思うかどうか」について訊ねてみた。

その回答。

「数学は文脈や感情に左右されずに論理のみで動く、ある意味非常に冷徹な学問だね。思考の回路を鍛えたり何かを懐疑する時にとても有用な手段だから、やり直してみることに意味はあると思う。あと、自分に欠けたものがありそうだと気づくことがまず大事で、その時点で君はかなり前進したと言えるんじゃないだろうか」

まずは中学数学から

苦手も苦手、よく中学受験なんか出来たなという自分である。
しかし大人になった今なら、言葉の意味も当時より咀嚼できるだろう。

いきなり高校数学だと、忘れている概念が多すぎて挫折するので基礎固めという意味でも中学数学から。

基本的な抽象思考が抑えられれば、より高度な抽象概念を扱えるようになる。それが数学への理解、だったのだ。

当時は当然そんなことなんか考えていなかったし、そんなことを教えてくれる教師も存在しなかった。
そういう仕組みを仕組まれただけのつまらない優秀人間製造工場に在籍した落ちこぼれ、そのなれの果ての1個体が自分である。

いま、やっと人間として生きていると思えるこの現在、一歩ずつ触れてみようと思う。

あの時、友達にも恋人にも知り合いにもなれず、かと言って道具にすらできなかった数学に。

 

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 AIと人間が融合した世界で、学習の意味とは

別に数学者になりたいわけでもないし、今から別の分野の仕事をしたいというわけでもない。ただ、欠けている思考があるなら埋めてみたいというだけだ。

早ければ2029年にもシンギュラリティ(技術的特異点)がやってくると、アメリカの発明家・未来学者で人工知能研究の世界的権威レイ・カーツワイルはいう。

現在用いられている意味において、この用語を提唱したレイ・カーツワイルによれば、「100兆の極端に遅い結合(シナプス)しかない人間の脳の限界を、人間と機械が統合された文明によって超越する」瞬間の事である。

技術的特異点 - Wikipedia

人間の脳にコンピュータを埋め込んで自己の拡張を行うことが可能になるという話もあるらしい。
そうなってくるともはや学習など意味はないということになるのだろうか。

しかし、今は不確実な未来に期待するよりも、主観で捉えられる現在のみを見据えるしかない。

どんな世界になっても人間でいたいなら、思考する余地だけは残しておきたい。