厭世思考

自分の厭世観、思考記録メモ

親が消えることを考えるときが来た

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自分アラサー、父70代半ば。同世代よりも親が老齢の自分。

4月末、父が入院したと病院から連絡があった。

だいぶ回復したが今もまだ入院していて、この出来事は自分に大きな衝撃を与えた。

親が消えてしまう

親とは折り合いがあまりよくなかった。

憎み合っていたわけではない。価値観の違いから接触をひたすら避けていた。押し付けられるすべての考え方にうんざりしきっていた。電話も対面もつらかった。

その親が消えてしまうかもしれないと思わされるときがついに来てしまい、自分は喜ぶかと思っていたけどそうではなかった。

父の車椅子を押す日が来るなんて思っていなかった。想像以上に悲しいものだった。

過去に培ってきた悲しい関係性

父が入院するより前。母は2月あたりに心臓を悪くし、その後介護施設へ入ったと父から電話で聞かされた。

「年だからしょうがないね」と答えた。実際しょうがないと思った。

いろいろあって、親子3人で生活したのは実質7年くらい。母と自分、2人だと10年少しはいたか。母と2人で生活していた自分は大学生から一人暮らしを始め、母を一人残して家を出た。その後は父とは連絡をとっていたが、これで3人別々に暮らすこととなって10年ほど。

母は文字通りの狂人となってしまっていたので話が通じず、こちらもおかしくなりそうな気持ちで過ごした。毎夜3時まで眠れないほどのストレスだった。早く結婚して誰かに理解されたいと毎日願った。そんな環境の中で受験勉強もままならず志望大学に行けなかったのは自分にとって大きなデメリットとなった。

父は高学歴なためか若いころは特に威圧的で自分の考えが正しいと思うような人だったので、特に母の身内との折り合いは最悪だった。自分に対しても父本人の考えを押し付けようとすることが幾度となくあった。自分のせいではないのに野垂れ死ねと言われたこともあった。要らないものを買われたり、イヤだと言ったのに卒業アルバムを無理やり奪取されて見られたこともあった。当然非常に消耗したが、そこで押し負けてしまうと自分自身の意思決定権を剥奪される関係性が出来上がってしまうので、僕は反抗が必要と思われるときは声を荒げたり無理やり電話を切ったりして怒りを表明した。

(親が暴力を振るってくるわけではなく、かつ論理的におかしいな、考え方が違うなと思うときは、悪口や「うるさいほっといて」などの感情的な返答ではなく「自分はこう思っているのでそれはしない/できない」などのできるだけ【意見】としての体裁を持った上で怒鳴るといいです)

↑怒鳴らないでふんふんと聞いてもらえるならそれに越したことはないが、話を聞いてくれる関係性ならこじれてないわけで、聞かない場合は声量で圧するしかないときもある。自分とあなたは違う生き物ですということだけは最低限解ってもらわないといけない。怒りを表明し、かつ避けることであまりムリは言ってこなくなった。効果はあったように思う。

しかしこんな人物像でも親は親で、自分のことを溺愛しているようだったのも感じ取れた。だから過干渉なのだなと思って鬱陶しくはあったが、無下にもできなかった。

彼らは友達もいなくてコミュニケーションの取り方を知らないが、本当のところは「悪人」ではないのだ。

この2ヶ月、メンタルも身体も疲弊

疲れた。

母は介護施設なのでほっておいても誰かが面倒見てくれるが、父は入院なのでいろいろしに行かなければならない。

入院生活に最低限必要なもの、そして父が必要だと言うものや看護師が必要と判断したものを都度購入・補充、洗濯、父の受け持つ仕事の処理を代わりにやって各所に電話するなど、やることは多かった。

病院や実家に行っては東京へ帰り、2~3日まともに頭も身体も動かない日々が続いた。誰もいない無音の状態だとつらくて、ソファに寝転がってアニメを見て一日が終わる日も何日かあった。

ふとトイレに行って無音になるといろんなことが呼び起こされて涙が止まらないこともあった。

病院で少し泣いたとき、「メソメソしないでがんばって」と言われたことが心に残っている。

実家の処理が大変

約20年ぶりに帰った実家は、まだ幼稚園の自分がいたときの設備のままで非常に汚かった。人形やおもちゃもあのときのままだ。自分の写真がフレームに入れられ、ホコリをかぶったピアノの上に成長順に並べられていた。

仕事だけではなく掃除もしてほしかったが、男性の一人暮らしではおざなりになるものなのだろう。特にトイレと風呂は目も当てられない汚れ方をしていた。サッシの汚れのせいか、窓すら開かない。空気が悪く、匂いもこもっていた。

あまりにも汚い箇所はすぐに用具を買い込んで掃除し、重いゴミを何袋も捨てた。トイレはともかく、風呂は掃除してもどうにもならなかった。

こんな状態の家に住まわせてしまっていたことを後悔した。しかし本人も助けてとか手伝ってとは言ってこなかったし、これまで大丈夫かと聞いても健康状態についての返答として大丈夫というだけだったので生活自体はなんとなくどうにかしているのだろうと思っていた。

あんまりどうにかなってなかった。

父の着ていたスーツがハンガーにかかっているのを見て、思わず抱きしめて泣いた。絶食でガリガリに痩せ、車椅子に乗り、大人用のおむつを付けるようになってしまった彼が病院で「仕事はもう辞める」と上手く呂律の回らない口調で言ったことが思い出された。辞める際には仕事で使っているスーツにつけるピンバッジを返さなければならないのだが、できれば形見になるかもしれないのでほしいと思った。

仕事はしなくても最後までこの立場にいてほしかったが、どうも月ごとにかかる費用が大きいらしくそうもいかないと聞いた。仕方ないと思った。

ちなみに母も一人暮らしを別の家でしていたわけだが、後にそちらも見に行ってみると流石女性というべきか掃除は一応されており、父の住む家のようなトイレなどの汚さはなかった。ただし買い物でストレス発散をしていたのでモノが死ぬほど溢れかえっていた。

通常の家の5倍くらいモノがあってどの部屋も物置状態、人が住める環境ではない。外見もツタが這っていて廃墟のようなので、できるだけ早急に対処したいところだ。(近所から苦情が来るかもしれない)

父の仕事の処理

個人的にはこれが一番大変で、電話苦手なのに各所に頭下げて電話して回ることになったりして、とても疲れた。

とは言え誰一人としてめんどくさそうにしたり嫌な顔をする人はいなかった。力になるよといった感じで、手続きやすべきことを丁寧に教えてくれた。

おかげでおおよそ順調にことは運び、上手く仕事の引き継ぎができた。

父のお客さんから、「頑固なところはありますけど、付き添う必要のないときにも必ず来てくれたりとても親身になってくれる人ですよ。早く回復することをお祈りしています」と言ってもらうこともあった。

父の仕事関係について、これまで何も触れたことはなかった。しかし身内には嫌われていた彼もこうしてお客さんからは正しい評価を受けていることを知って安心した。

彼は誰にも理解されない悲しい人間ではなかったのだ。これは僕にとって大きな救いになる。

現在

現在、父は転院や手術をして遥かに回復した。「がんばるよ」とぽつんと言ったのが痛々しく聞こえた。フラフラしているが自力で歩いてトイレに行けるようにもなったし、ご飯も食べられるようになった。

「ずいぶん痩せたね」と言うと「また太らなくちゃ」と言っていた。

まだ入院しており、リハビリを経て状態がよければ家に帰りたいと本人は言う。自分は同居人の仕事もこちらにあるし、一緒に住むことはメンタル的にもできそうにない。父も一人の方が気楽だろうとは思う。ただし実家のリフォームは免れないと思い、とりあえず風呂とトイレと手すりなどのリフォームは最低限必要だと提言しておいた。

母の介護施設にも行ってみた。あの、突然一人で笑いだしたり虚空の幻覚に向かって怒り出したりする頃の恐ろしい狂人とは打って変わって、穏やかな老婆になっていた。そこではもう独りではないからだろう。それに介護施設は、窓が大きくて明るい。やはり光の入らない暗い家にずっといるのはダメだと思った。

要望や困ったことはないかと聞くと、「特にないかな。幸せな感じ」と言っていた。母からそんな言葉を聞いたのは初めてだった。

老後、身体を壊して怒るエネルギーが尽きてからの関係の「良化」。こんなことがあるなんて。これまで全く機能していなかった悲しい家族の約30年間はなんだったのだろうか。ただの悪夢だったのか。

僕はここまで生きてきた間に膨らんだ己の苦悩が、突然わからなくなった。

こさささこさんの漫画「ある日突然オタクの夫が亡くなった」

自分が父入院の知らせを受けてバタバタしている折に、ツイッターでこんな話がRTされてきた。

突然夫を亡くしてしまうなんて、予期していなかった分とてもつらい。でも手続きや生活のこと、しなきゃいけないことが山ほどあってつらいと思っていられない日々。その気持ちがとても分かる(死んではいないけどやることはかなり増えた)し、自分もこういうことになる日が来る。

こさささこさんは手伝ってくれる親族がいるようだが、自分はほぼいない。同居人くらいだ。だから、多分もっと大変になるんだろう。子どもがいないことだけが救いかな。

つらいことが起こると得てして世界で一人だけが不幸だと思いがちだが、なんだか仲間(というと失礼かもしれないが)がいる気がして少し気がラクになった。

悲しくしんどい中、この漫画を公開してくださったことに感謝したい。

世界が変わり、思考も変わる

突然、世界が変わった。

死にたいなんて言っていられなくなった。世界についてとか考えている場合じゃなくなってしまった。そういうのは研究者に任せて、自分は実務をこなすしかない。

でもそれって豊かさのない人生かもしれない。そう。心配ごとが少なく、いろんな可能性や好きなことについて考えて行動できる方がいい。逆にいつまでも親のことばかり考えて生きていくわけにもいかないんだし。

親の病状が回復するにつれて泣いたりすることはなくなったが、やはり寝る前にふと思い出してしまう。実際、まだリフォームや母の家の売却など課題は残されているし、いつか死んでしまうという未来も待っている。不安はしばらく消えないだろう。

僕は「豊か」に生きることができないのかもしれない。せっかく友人もすぐに消えていくし。

死にたいって思うような自分が生み出された大きな要因は親にある。そういう親だから自分もできるだけ避けて生きてきたわけで、つまりお互いコミュニケーションを上手くとれる関係性が築けなかったことで、適切な時期(60代とか)に実家の設備を新調したり健康状態を気遣う流れにはならなかった。でもそれは自分の意見を押し付けてしまうと相手から当然引き出される反応なので、父の子どもに対する接し方はよくなかった。少なくとも親という感じはしなかった。

だから正直自分だけのせいでこうなったわけではないと思っている。それに墓参りに行きたいと言えば付き合ったし、こうして何かあったときにほっとくようなこともしていない。

母の日も父の日も嫌いだった。嫌いというよりその名前を聞くのも怖くて避けていた。それは、僕のせいじゃない。

まああまりワガママを言われても困るのでその場合はまた怒らなくてはならないが、悪い人ではないと解っているのでできるだけのことはしようと思う。

あと、同世代は気楽に過ごしてるなというのをまざまざと思い知った。普通の人は40代くらいになってからこの思いを味わうのだろう。つくづく同世代とは…いや、年齢に関係なく誰とも話が合わない。

アラサーなら普通は職場や結婚関係の愚痴を言っている頃だろう。この気持ちを共有できる人は少ない。

境遇としてつらい人は大量にいて、だからこそあの新幹線殺傷事件みたいなことが幾度も起こる。自分もつらいとツイッターで会話してみたいと人を探すが、どうも自分とは合わなさそうな人ばかりだ。

自分も結構いっぱいいっぱいだったのに、親の心労まで背負いこむような優しすぎる欠点がまだ残っていたなんて。

疲れたな。

僕は親の最期を見届けるためだけに産まれたのではないか

幸い親の貯金があるので、当面の介護費用や入院費などは気にしなくて済みそうだ。何より、自分で介護しなくていいというのは不幸中の幸いと言えるだろう。

その貯金も自分のために貯めてくれていたと言うのだから、コミュニケーション不全ではあってもなんとなくお互いを思っていた不器用で悲しい家庭になっていたのだなと痛感させられる。

もう少ししたら、きっと喪主になる覚悟もいる。親がいなくなれば、僕は(厳密には一人ではないが)一人きりだ。兄弟がいてほしかったと、やはり思う。

ただ…、なんとなく、親の面倒を見終えたら僕の存在意義が一気に薄れてしまうような気がする。(親はそう思っていないが)もしかして僕は親の最期を見届けるためだけに産み落とされたのではないか?などと考えてしまう。

親の残した爪痕は大きい。確かに虐待でもネグレクトでもなかったけど、歯車のズレが大きかった。名前の付かない問題は「問題」にはされないから、僕はこのままどこか変なまま生きていくことになる。

これでいい?わからない。